鬱と怒りと傷ついた気持ち

今日は怒りという感情について
お話してみたいと思います。

怒りって、非常に凶暴なエネルギーなので、
多くの人が手に負えなくて抑圧したり
切り離してなかったことにしたり
していると思います。

怒ることは良くないことだ、
こんなことで怒るのはみっともない、
怒っている自分が嫌い、などなど

社会的にも否定されがちな感情ですから、
怒りを表現することに対して、
抑圧的な対処法を教えられたり、
誰かに抑圧されたりということを
多くの方が経験していると思います。

けれど、他の感情もそうではありますが、
特に怒りは適切に対処されないと、
自分自身を傷つける方向に働くことが
あるので、注意が必要です。

私が師と仰ぐレナード・ジェイコブソンは、
怒りは、他の感情よりもちょっとだけ
対処が難しいね、と言っています。

彼の著書にも、怒りを抑圧した友人が
鬱的な状態になったというエピソードが
出てきます。

レナードが、鬱になった友人に、
そうなった直前に、何か怒りを感じた出来事
がなかったかどうか尋ねると、その友人は
まさにそういう出来事があったことに
思い至るのでした。

そして、怒りを適切に表現したところ、
鬱症状は見事に消え去ったのでした。

怒りはとても凶暴な感情です。
理屈は通りません。

相手にちょっと挨拶されなかった
という程度のことでも、ときに
「ぶっ殺してやる!」くらいの怒りが
誘発されることもあります。

全然割に合わないですよね。
怒りとはそもそもがそういうエネルギー
なので、理屈で何とかしようとすることは
できないのです。

かと言って、何かや誰かに八つ当たりする
のも適切な対処法とは言えません。

こういう凶暴なエネルギーを
無理やり抑圧するとどうなるか
というと、

その凶暴なエネルギーが
自身を傷つける方向に働きます。

相手に向けた「ぶっ殺してやる!」
というあのエネルギーが自分に向かって
行くわけです。恐ろしいですね。

そりゃぁ鬱にもなりますよ。

レナードは、
「唯一不健全な怒りがある。
それは、自分自身に向けた怒りだ」
と言っています。

セッションをしていても、
しばしば自分自身に怒っている状況が
出てくることがあります。

本来は誰かに対して怒っていたのです。

けれど、それはいけないことだとか、
その人に怒りを向けたくない、という思いが
ブレーキとなり、代わりに自分にその怒りを
ぶつけているわけです。

だから、こういうときは本来誰に向けた
怒りだったのかを明らかにします。

両親だったのか、友人、上司、部下、
家族などなど。

そして、イメージワークの中で、
相手のその態度によって自分が
どんな気持ちになったのか?
本当はどうしてほしかったのか?
を吐き出します。

怒りというのは、
人からしてほしくないことをされたか、
人にしてほしいことをしてもらえなかったかの
どちらかに対する反応として起こります。

そういうことをされると、
私たちはとても傷つくんですね。

すると自分がとても弱々しく感じます。
弱々しい自分だと本能的に危険を
感じて、反射的にパワフルになろう
とします。

その反応として表れるのが
怒りという感情なのです。

だから、怒りの奥には、
必ず傷ついた気持ちがあります。

それを表現してあげるわけです。

私たちはしばしば、自身の素直な気持ちや
ニーズを表現することをためらいますね。

私もまだまだそういうところがありますが
そうすることが恥ずかしかったり
無防備に感じて恐かったり、あるいは
相手の方の顔色をうかがってしまったりして
すんなり出せなかったりするんですね。

けれど、自身の欲求や感情を表現することは、
ある意味、自分自身に対する責任でもある
と私は思っています。

たとえば、職場で部下から上がって来る
様々な要望や意見などを上司が、
自分の体裁や手間が増えるなどの理由で
面倒くさがって握り潰していたとしたら、
どうでしょう?

それでは上司自身の職責を果たしてはいない
ことになるでしょうし、部下からの信頼も
得ることはできないでしょう。

このたとえの上司を自分に、部下を自身の
気持ちのカケラたちだと置き換えてみると、
「自分自身に対する責任」だと私が言う
ニュアンスが伝わると思います。

気持ちのカケラたちにとって、それが
できるのは自分しかいないわけです。

ここで握りつぶされてしまったら、
絶望的な状況の中で抑圧されるしか
ありません。

以前、私が勤めていた職場で、
まさに私が私自身にしている態度が
鏡の法則によって映し出され、上記のような
とても苦しい思いをしたことがありました。

今だったら、自分がどれほど自身の責任から
逃げていたのか、よく分かります。

怒りを抱えている方は、
傷ついた気持ちの反応として
相手に怒りをぶつけるのではなく、

深く自身の傷ついた気持ちを受け止めて、
自身の気持ちとニーズを愛をもって
素直に相手に表現してみましょう。

結果には執着せず、
ただ自身に対する責任を果たすのです。

これができると、結果がどうであれ、
自分を誇らしく感じます。

そして、それができた自分を信頼
できるようになっていきます。

自分を誇らしく感じられないという方は、
どこかで自分に対する責任を果たして
いないのかもしれませんね。

みなさんの気づきの一助になれば
幸いです。

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