エゴはなぜ変化を恐れるのか

自分に向き合う作業を続けていると、
今まで気づかなかった自身の側面を
発見したり、抑圧された気持ちが解放されて
だんだん楽にもなって来ます。

な~んだ、世界はこんな仕組みで、
この出来事が起こったのは、
そういうことだったんだ~ってわかると、

訳も分からず辛い目に遭ったときに比べたら、
まだまだやらなきゃいけないことがある
としても、方向性も見えるので
ホッとするでしょう。

そうしてある程度、初期の解放が進むと、
今度は長いこと逃げ続けてきた自身の側面が
「そろそろ向き合ってね~」って感じで
じわじわ迫って来る時がやってきます。

手前のところでそこそこの解放の喜びを
楽しんでいるときは良いとしても、

さらにその先に行こうとするときに、
ものすごい恐怖やら抵抗やらが出てくることが
よくあるんですね。

今まで解放を頑張ってきたけれど、
こんなに嫌になるのは、間違ってるのかも?
とか、この先に進むのは危険かも?
って引き返していく人もないわけでは
ありません。

このときに恐怖を感じ、抵抗しているのは
エゴなのですが、なぜそうなるかというと、

解放が進んでしまうと、
エゴは自分が築き上げてきたもの、
頑張ってきた道のりが否定されたように
感じるのです。

また、その解放のプロセスで、
様々な在り方の変容が起こりますが、
その先にあるのはこれまでのような
在り方ではなく、

根本的によって立つ基盤が違った、
エゴにとっては全く未知の世界に
移行することになります。

これが、とっても恐いわけですね。

自分が自分でなくなってしまう。
自分が消えてしまう。
それは危険だ。

そう思って、必死で抵抗するのです。

基本的に、自分自身に深く向き合っていくときに
起こる抵抗は、突き詰め行けばこのパターン
に収束していきます。

在り方が変わったとしても、
悪いものばかりとは限らないよ、
といくら説明しても、
エゴは本質的に変化を嫌います。

未知の天国よりも、
慣れ親しんだ地獄を選ぶのです。

最近、こうしたエゴの動きに出合うたびに
思うのは、エゴが恐れている変化の本質
というのは、「内なる神」に触れること
なんじゃないか、ということです。

ただ変化するのが嫌、というよりも、
「内なる神」の前に立つのが恐いのかな、
と、何となくの私見ですが感じます。

なぜ恐いのか。

いたずらをした子供が大人の前に立つと
怒られるんじゃないかとびくびくする
みたいな感じに近いかもしれません。

こんな自分は罰を受けるだろう。
愛されるはずがない。
理想的な、「いい子」にならなければ。

なんて、勝手に思い描いた「愛される人」像に
近づこうと、必死で頑張ったりします。

でも、当然のことながら、「内なる神」は
本質的にジャッジメントの性質がないので、
裁いたり、えり好みして愛さない
ということはありません。

そう頭でわかっていても、
エゴは「内なる神」の前に裸で立つ
ということに逡巡するのです。

また、神に対して深い怒りや憎しみを
抱いている場合も、神に背を向けていて
なかなかに向き直ることは
難しいですね。

しかも、こういう憎しみはかなり根深く
魂の底に沈められていることが多く、
自分で気づくまでが結構大変だったり、

気づいたら気づいたで、それに向き合うことは
それなりに苦痛を伴う道のりが待っています。

内なる神に背を向けていると、
自分自身の本来の力を発揮しようと思ったときに、
必ずこのことが障害となって出てきます。

また、根本的に世界を信頼できず、
他者も、自分自身ですら信用できません。

故に、他者とかかわるときに、信頼をベースとした
関係性を築けないのです。

常に損か得か、使えるか使えないのか、
自分にとって有利か不利か、という
パワーゲームをベースとした関係性になります。

心当たりのある方は、自分が「内なる神」
あるいは自分自身を信頼しているかどうか、
確かめてみてください。

自分自身への不信がある人は、
必ず「内なる神」への不信があります。

愛も、自身への信頼(自信)も、
自分の本当のパワーも、
その源は「内なる神」です。

だからこそ、すべての人にとって
自身の「内なる神」に触れていることは
とても大切なことだと私は思うのです。

ということは、ここに背を向け、
逃げ続けるエゴの恐れと抵抗を
どうにかして超えていくことが、
カギになってきますね。

私たちは、エゴというととかく良くないもの、
成長への障害などととらえるので、
無くなればいいとか敵対視することが多いですが、

そうすればするほど、エゴの抵抗は激しく
なるでしょう。

そうではなく、エゴの恐れに寄り添い、
エゴとの適切な関係性を築くことが、
必要だと思います。

これが、いわゆるマスターレッスン
ということです。

自分の中に、変化していくことへの恐れが
出てきたときは、その恐れを握りつぶして
先に行こうとするのではなく、

気づき、対話し、抱きしめながら
エゴが安心して変化を受け入れるように
導いてあげられたら、と思うのです。

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