人生は毎瞬が選択の連続で、
選ぶことを軽やかに楽しめる
ときもあれば、
その後の人生を決定づけてしまう
プレッシャーに飲み込まれそうな
究極の選択もあります。
どんな選択も、その結果が
自分の望んだようなものに
なるのであれば、人はこれほど
選択という行為に恐れを感じることも
ないのでしょうが、
良かれと思ってした選択が
思っていたような結果にならなかった時、
失望と後悔、不安や焦りなどに襲われて
なかなかそこから抜け出せないという方も
結構いらっしゃるようです。
そうなることが嫌すぎて、
絶対に失敗しないように、
「絶対の正解」を求める人も
少なくないのですが、
当然そんなものがあるはずもなく、
そこに執着している人の多さに
この時代の日本の教育の影響を
感じてしまうのは、私だけでしょうか。
多分、そのように正解に執着する人は、
結局何を選んでも、後悔と失望を
繰り返すのではないかな、と思います。
というのは、
1つの選択をクリアしたからと言って、
それで人生がすべて正解で終わる
わけではないからです。
人生は流れ続け、
また次の選択がやってきます。
人生は万事塞翁が馬、
その時は正解に見えた選択も、
半年後、1年後も必ず正解だったと
言えるわけではありません。
正解だと思えた選択が、
その後最悪の選択だったとなることだって
よくある話です。
そうしたときに、
自分で選んだ選択の結果に
どう向き合うのかで、
その人にとってのその現実の意味が
変わってきます。
結果を引き受けず、
ただその現実の被害者のようになると、
不平不満と後悔、失望に飲み込まれ、
打ちひしがれるだけでしょう。
けれども、結果を引き受け、
逃げずに向き合い続け、そこから
何事か学びを汲み取りそれを自身の糧
とすることができたなら、その人の人生は
力強く飛躍するでしょう。
そうしたら、数年後に振り返って、
あの時は大変だったけれど、
あれがあったからこそ今の自分がある。
あれを経験できてよかった、とすら
言える自分になっているでしょう。
その人にとって、あの選択は
失敗や間違いなどではなく、
大きな人生の流れからしたら、
確かに正解だったのです。
けれど、それは最初から正解だった
わけではありません。
逃げずに向き合い続けることで
自分で正解へと昇華させたのです。
人生は、必ず一つの正解の筋道がある
わけではありません。
にもかかわらず、センター試験のように
正解があると思ってそれだけを求める人の
なんと多いことでしょう。
こういう話を長々として、
わかりました、と言って自身の問題に
改めて戻った直後に、
で、これが正解で良いでしょうか?
と聞いてくる人が一人や二人ではない
ことからも、
この国はどれだけ自分で考えて生きる力を
奪う教育をしてきたのだろう?
と思います。
自身の人生で選択をするということは、
その結果に責任を持つということが
もれなくセットでついてきます。
そういう自覚がない人が
多いんですね。
だから
自分の人生なのにどこか他人事で、
無意識に責任転嫁をし、
自分で行動しないのに
無責任に不平不満を言い、
考え方がいつまでも幼く、
無力なのです。
そういう人も、
本当に力がないわけではありません。
ただ、自分の人生を生きることについて、
自覚がないだけなのだと思ます。
各々、自身の選択を、
自分で正解にしていく力を
奮い立たせていかれますように。