父との関係性のワーク

最近、サロンで父親との関係性について
ワークされる方が続いていたのですが、
ふと私の父との関係性はどうだったかな?
と振り返る機会がありました。

正直、私の父に対する印象は、
強烈すぎる母の印象がキツすぎて、
ほとんど影がないんですね。

もう亡くなって17年ほど経ちますが、
母とのワークは随分やってきましたが、
父の方はほとんど手付かずでした。

振り返ってみると、私の父は
世のお父さん像とはかなりかけ離れた
在り方をしていたようだと、
今更ながらに気づきました。

自営業だったのでいつも両親は
家にいたにもかかわらず、
これほど印象が薄いというのも
不思議と言えば不思議ですね。

体育会系でしたので、決して
弱々しい父ではありませんでしたが、
父と子としての接点がほとんど
私の中にはありません。

よく、お父さん子だという方や、
街でお子さんと手をつないで
歩いているお子さんを見て、

そういう景色があるのは認識しても、
自分の父を、そういうポジションで
あってもいい存在という概念は
まったく欠落している自分がいます。

まぁ、世の中の父子像はその人その人
あって当然ですから、何が普通で
何が普通でないとは言えませんが、

それにしても、ちょっと
変わった関係性だったのかも、
とようやく最近認識した次第です。

なぜこれほどまでに印象が薄いのか、
あることがきっかけで気づいたのですが、

私の父は私や弟たちに対して、あまり、
というかほぼ「共感」というものを
示したことがなかったのです。

このことに気づいたとき、
父に対していつも感じていた
居心地の悪さの原因がわかった気がしました。

記憶の中の父は、子供との会話はほぼ上の空で
テレビを見るか新聞を読むかで聞いておらず、
話しかけると怒られたのでやがて
会話らしい会話もしなくなりました。

忙しくて疲れていたのもあったでしょうが、
口を開けば「あれ取って。お茶」くらい
しか言わないので、私たち兄弟もだんだん
父がそばに来ると部屋を出ていくように
なりました。

それが淋しかったのか、
よくちょっかいを出してきましたが、
父なりのコミュニケーションの仕方
だったのでしょう。

でも当時はそういうちょっかいが
大嫌いで、よくケンカをしていました。

けれど、家族には全くと言っていいほど
共感を示さない父は、亡くなってみれば
地域の多くの方たちから慕われていた
ようで、家族の私たちがびっくりするほど
別の顔を持っていたんだと思いました。

いわゆる、「釣った魚にエサはやらない」
タイプだったのかもしれません。

「家族なんだから言わなくても
わかるだろう」と考えていましたし、
実際そう言っていました。

身内には心遣いはしないけれど、
外側には細やかに気づくという。。。

父は決して家族を愛してなかった
わけではないと思うのですが、
未熟だった私には、生前にその愛に
気づくことはできませんでした。

父に対しては、わだかまりというほど
わだかまっているものも一見
思い当たらなかったのですが、

こういう父を思い出してみれば、
印象がないということ自体が
わだかまりだったと気づきます。

いつも自分の世界に入っていて
私の話を聞いてくれなかった父。

遊びに行っても、自分だけ楽しんで
私を置き去りにした父。

約束をしたことも覚えていない父。

実は結構父に対して怒っていたんだな
と、埋もれた怒りがやっと出てきました。

イメージワークで飲み込んでいた言葉を
吐き出した時、最初に出てきたのは

「お父さんなんて大っ嫌いだ!」
という言葉でした。

ビジョンの中で、私に思い切り怒りを
ぶつけられた父は憮然とした表情をして
黙っていました。

それから私は自分の「本当はしてほしかった
ニーズ」を吐き出していきました。

ちゃんと話を聞いてほしかった。
一緒に遊んで喜んでほしかった。
辛い時、寄り添ってほしかった。
などなど。

言いながら、たくさんの悲しみの
感情が湧き上がってきました。

父との関係性において、多分
早い時期に諦めたニーズだったと
思います。

私自身、父に対して怒りを感じたことは
多々ありましたが、その奥にある
ニーズには、今まで気づけていません
でした。

こうした満たされないニーズで、
幼かった私は繰り返し
「自分はそういうこともしてもらえない
程度の、価値のない存在なのだ」
という認識を形成したと思います。

ここにこんなものがあったのか、
と気づいたことで、随分ホッとしました。

心の傷は、根っこを見つけるまでは
気持ち悪いですが、たどり着くと
すっきりしますね。

さらに父の視点に入って私を見て見ると、
今まで自分では関係性を築けていたと
思っていたのに、全くそれができていない
ということに驚いていました。

娘の私の傷ついた気持ちや淋しさを前に、
どうしたらいいのか戸惑っています。

「俺だってそんなこと、
してもらったことないもん」

そんな言葉が出てきました。

「じゃぁ、一緒にプレゼンスに
居ようよ」と私が促すと、
ビジョンの中で父と私はしばらく
プレゼンスにいました。

なんだか、心がす~っと
落ち着いてきました。

認めてほしい、愛してほしいの前には、
一緒に今この瞬間にいてほしいという
ニーズがあるんですね。

ここが今満たされたので、
とても穏やかな気持ちです。

こんな流れのワークもあるんだな~
と自分でやってみて思いました。

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