罪悪感と戒めの手放し方

悪いことをしようと思ってやったことではない
のに、誰かに迷惑をかけてしまったこと、
ありませんか?

人間生きていれば色々ありますから、
何であの時、あんなことをしちゃったんだろう?
って後々まで後悔や自責の念に駆られたりして
トラウマになっていることもあるかも
しれません。

いくら頭で整理をしても、けっこう
引きずってしまっていたりしますよね。

中には、ず~っと自分を責め続けて、
だから自分は幸せになってはいけない、
罰を受けなければいけない、
愛されてはならない、
孤独で居なくてはいけないなどなどの
戒めや罰を課し続けていたりします。

こういう場合、きちんとその出来事を
完了できないと、自らかしたその罰の
「刑期」の間、苦しまなくちゃ
いけないことになります。

幸せになろうとすると、
「刑期」の間は自分でその幸せを
ぶち壊すようなことを無意識で
してしまったりするからです。

どうやってこれを完了させるか。

まず、その出来事を「無かったこと」
にしてはいけません。

辛くても、しっかり直面して
受け止めることですね。

自分を責めるのではなく、
真っすぐに見る。

自分を責めるのは、相手のためじゃなくて
自分の落ち着かない気持ちを紛らわせる
ためです。

どれだけそれをやっても、
何らその罪深い感じを和らげることには
なりません。

自分をひどく責めている人を見ても、
一見反省しているように見えて、
本当に自分のやったことを受け止めている
わけではないので、

ある意味、被害を被った人は
置き去りにされています。

自分を責めていては事実をまともに
見ることはできません。

それができなければ、相手の味わった
痛みを受け止めることもできません。

それができずに、どうやって
本当の謝罪ができるでしょうか?

謝罪は、加害者が本当に被害者の痛みを
受け止めたところで、自身がやったことの
意味を理解するところからやってくる
思いからなされるべきものです。

それがない謝罪がどれほど空虚なものか、
逆に被害者を傷つけるか、中には
それを体験された方もあるでしょう。

自分が許されて楽になりたいがため
だけの謝罪ほど、見苦しいものは
ありません。

痛みを負わせた相手に、
どうしてさらに自分を楽にしてもらう
ための許しを求めるのでしょうか。

だから、本当にこのわだかまりを
解きたいと思うのなら、まずは
自分のやったことに何としても
向き合うのが先だと思うのです。

それはとても苦しいことでしょう。
その苦しみを、この心と体と魂で
しっかり生きましょう。

全く自分を責めることをやめると、
ダイレクトにこの苦しみに
触れるようになります。

これを受け止められたら、少しずつ
苦しみは和らいできます。

そうして初めて、相手の味わった苦しみに
直面する準備ができました。

それから、相手がどんな苦しみ、絶望、
悲しみ、悔しさを味わったのかに
触れ、受け止めていきます。

それが、自分のやったことを受け止める
ということなんですね。

ここが逃げずに本当にできると、
あなたは二度とそういう失敗ができない
人に変容するのです。

これが起こるまでは、いつまでも
その過ちを犯してしまう可能性が
あなたの中で生き続けています。

だから、戒めや罰が必要であり続ける
わけです。どうやっても戒めが外れないのは、
そういうことなんですね。

自分のやったことを受け止め、
被害者の苦しみを完全に受け止められたとき、
本当の謝罪ができる状態になります。

そうして出た、赤心の
「申し訳ない。すまなかった」
という言葉だけが、相手の苦しみを
癒す力を持つのです。

良く、ひどいことをされた人が、
相手にも同じ苦しみを味わわせてやりたい!
と思うことがありますが、

これは、「私の味わった苦しみを
わからせてやりたい!」ってこと
なんだと思います。

お前は何をやったのかわかっているのか?
わかったうえでそれができるのか?
っていう問いを突き付けているわけです。

自責の念やうしろめたさは、
自身が果たしていない責任がある
というサインです。

自分が何から逃げているのか。
逃げ続ける苦しみから逃れる方法は、
逃げるのをやめて引き受けることです。

言われてみれば、シンプルでしょ?

それが一番やりたくないことなんでしょう
けれどね。笑

逃げ続けている限りは、
同じ過ちを何度でも繰り返します。

人生で何度も。ちょっとしたら、
前の人生から、ずっと逃げ続けているのかも
しれませんね。

ちょっとした出来事で罪悪感が入って
しまうこともありますし、かなり強烈な
出来事で抜けがたく入る場合も色々ですが、

いずれにせよ、心に刺さったとげは、
早めに対処しましょう。

そしてまた、その出来事が起こったのには、
やはりその前にそれが生じる必然の要因が
必ずあります。

それもしっかり突き止めて完了させて
おくように。

たとえば、自身の欠乏感から人のものを
盗んだ場合。盗んだことだけじゃなくて、
欠乏感自体も癒す必要があるんですね。

こうやって、根っこを完了させるところ
まで気を抜かず、ツメをしっかり!
ですね(^^)

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