様々な方のお話を伺ってきて、
しばしば、人間への関心が薄いのかな、
と感じる方に出会うことがあります。
そういう方のエネルギーは閉じていて、
あまり自分の外に触れて循環している
感じがありません。
自己完結しているというか、
それなりに必要なコミュニケーションは
しているようだけれど、そもそも
相手を見ていないし、知ろうとも
していない。
一方的に自分の関心のある話題だけ
しゃべって満足しているとか、
自分の用が済んで、相手がどう感じているか
とかには意識が向かず、何も言われなければ
それで良いのだ、大丈夫だと思っている。
そこに表現されなかった何かがあるとは
つゆとも思っていない、みたいな感じがします。
それほど深い関係性ではない状況なら
それでもある程度は良いのかもしれませんが、
本来、密にコミュニケーションを取る
必要のある家族や友人、仕事関係でも
相手に関心がないのですね。
そういう人をさらに見ていくと、
本当はそういう人ではないのだけれど、
魂の旅路のどこかで心に傷を負うような
体験があって、固く固く閉ざしている
というケースがあったりします。
決して自分を開くまい、
という決心が固いほどに、
その心の蓋にたどり着くまでに
結構段階があったりするのですが、
蓋の存在も最初はわからないほどに
自分を改造し、固めてしまっている
人もあります。
あまりにも長い間そういうことを
し続けてきて、本来の自分の姿を忘れ、
忘れていることすらもわからなくなって
迷子になっているんですね。
そういう人も、どこかで
本当の自分を生きている実感がないとか、
これじゃないんだけどな、と感じて
試行錯誤はしているのだけれど、
どこに糸口があるのか、
見つけられないのです。
色々なレベルにその蓋、傷があるけれど、
いずれにせよ、それを癒すには
まず開かねばなりません。
けれど、それを封印したからには
それが固ければ固いほど、
相応の決意と思いがあるわけで、
本人がその思いに触れ、受け止め、
さらにもうそれは終わりにしよう、
と心底決められる準備ができていないと、
頑として封印は開かず、
上っ面の癒しをしたところで
また元のようにしっかり戻ってしまいます。
だから、こういう封印に取り組むとき、
私はその人が今、どこまで準備できているか、
開き、その先の自分を生きる意思があるのか
というところを繰り返し確認します。
人によって、タイミングが来るまでに
何年もかかる人もあるし、
割とすぐに開いていく人もいますが、
その人の中で機が熟すタイミングというのが
あるんですね。
それをヒーラーの側が多少は早めたり
することはできる部分もあると思いますが、
根本的にはそれは本人次第な気がします。
数か月、数年をかけて、
段々とその機運が高まってくると、
どれだけ固い封印であったとしても、
確かにそれは永遠ではないのだと
感じます。
かつて受けた耐え難い苦しみを引き受けて、
それでもこの世界でこの自分を生きていく。
そう決意して戻ってくるというのは、
なかなかのことだと思います。
しぶしぶではなく、諦めでもなく、
かつての自分以上に深くこの世界に
愛の根を下ろして生きるのでなければ、
戻ってこようとは思わないでしょう。
そうして戻ってこられた魂の、
何と神々しいこと。
筆舌に尽くしがたい体験も
この世界にはあるけれど、
それでも、人の歩みは尊いと
心から感じます。
これが私たちの中にある
闇を光に変える力なんですね。
すべての魂が持つこの変容の力に祝福を。