自身の情熱を生きる

自分の選択に責任を持つって、
なかなかに勇気の要ることですね。

その選択が重要なものであればあるほど
その結果が思うようなものでなかったら、
後悔してしまうかもしれません。

どこかに逃げ道を残しながら、博打に
ならないよう、安全策を講じておくことも
時には必要だったりします。

けれど、そういうものとは別のレベルで、
肚を決めなければ越えていけない
ときもあるんじゃないかな、
と思います。

今の時代、色々な選択の中で
揺さぶられている人も多いでしょう。

セッションでも色々なご相談を
受けることがあるのですが、

何をしたいのかがわからなくなっている方に
共通しているのは、

今見えている状況に自分をいかに当てはめるか
というところから考えている、ということ
でしょうか。

つまり、「自分に見合ったかたちを見つける」
というよりも、「自分が我慢できる範囲で
自分にできそうな何かを探す」という視点で
居場所を見つけようとしているんです。

なぜこういう視点になってしまうか
というと、本当に自分が何をしたいのかが
自分でもわからなくなっているのと、
自分に自信がないからでしょう。

自分の深いところの声と繋がれていないので、
無力感を常にどこかで感じている。
だから自信がないわけです。

本当はもっと自分自身を生きたい、
もっと自由に自分を表現したい
って思っているのに、

どこかでそれをすることに
背を向けていて、自身のニーズにふたを
しているので、なかなか自分の道が
見えてこないし、力も湧いてこないのです。

そしてまた、本人も背を向けていたり
蓋をしているなんて、夢にも思ってなかったり
します。

抑圧が強いとうすうす気づいてはいても、
自分の道を散々探し回って四苦八苦
しているわけですから、

こんなに苦労しているのになんで!
私はそれを知りたいのに!
って思うんですね。

でも、そう思う人は大概、
外側に探し回ってあくせくしますが、
自分の内側を深く見る、ということは
案外していなかったりします。

大切なのは、自分の内側を深く見ること、
自身の恐れや嫌いなところも含めて、
あらゆる側面を、目をそらさずに
しっかり見ることだと思うのです。

自分を見ることが苦手な方は、
自分自身を「条件付きの愛」で見ている
ことが多いですね。

良い子だったら受け入れるけど、
悪い子だったら徹底的に否定する、
或いは無視する、自分じゃないふりをする
とか。

または、抑圧しているものがあまりに
大きすぎることが分かっているので、
そこを見ることが恐くて仕方がない
というケースもあります。

けれど、自分の道を開くカギは、
実は自分が切り捨ててきたものの中に
あったりするのです。

だから、本当の自分の人生を生きたい!
と思うのなら、最も触れたくなかったところ、
見ないで放置していたところにどうにかして
アプローチしていく必要はあるのでは
ないかな~と私は思います。

私から見ると、
そういうところに蓋をしている人は
ものすごく自分を制限して、窮屈なところで
頑張っているけれど、なかなか思うように
生きられていないように見えます。

その制限を外すことが大事なのに、
制限をそのままにして、窮屈な枠組みに
どうやって自分を嵌め込もう?っていうところで
努力しているみたいな感じです。

でもそれって、絶対うまくいかないですよね。

いかに上手に嵌め込んだとしても、
それは本当にその人が望んでいる在り方とは
程遠いものなのですから。

遅かれ早かれ、また「やり直し!」という
お知らせが来るでしょう。

本当に望んでいる生き方をしなさいって、
人生は差し戻してくるわけです。

魂はたくさんの人生の記憶を持っています。
その中で、あなたは何度、今と同じように
「そこそこの安全そうな選択」を繰り返して
結局、心残りを抱えつつ人生を終えたでしょうか。

安全そうに見える選択が必ずしも安全なわけ
ではないことは、頭では分かっているでしょう。

でも、本当に自分の人生を生きようとしたときに、
抗しがたい恐れが浮上するのですよね。

それも、とてもよくわかります。

でも、「今回もまた」その恐れに負けるのでしょうか。

大それた決断をするのはハードルが高い
という方は、まずはこう問うてみてください。

自分の中に、本当に何かに対する情熱が
あるのだとしたら、自分はそれをこの人生で
表現して生きたいと思うだろうか?と。

この問いに「Yes!」と答えられるのなら、
自身のハートに向かって、

「私は自身の情熱を生きる!」と宣言し、
「どうか私を導いてほしい」と願いを
届けておくといいでしょう。

その後は「で、どうすればいいの?」と
オロオロするのではなく、

その宣言の通りに、毎瞬、自分の情熱を
生きる選択を重ねていけばいいのです。

最初の肚が決まらないと、
次の扉はないんですね。

よく「それを決めたら次はどうなるんですか?」
って聞かれることがあるんですけれどね、

それは、最初の扉を通った人にしか、
答えは無いんです。

決める前から先の保証を求めて進めるような
道ではない、ということですね。

迷いを断ち、逃げ道を断って
その扉の前に立つことができた人だけに
開ける道があるのです。

これは、博打とは違ったレベルの話です。

自信が付いたらできる決断、
というわけでもありません。

あなたはいつ、どんな選択をするでしょうか。

全ての方の選択が、恩寵とともに在りますように。

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