「自分が自分でなくなってしまう」という恐れ

「自分」って何だろう。

セッションなどを誘導しているときに、しばしばそう思うことがあります。

しばしば「もし…になったら、自分が自分でなくなってしまう」という言葉を聞くにつけ、
その「自分ではなくなってしまった存在もまた、自分ではないのだろうか」
と問いかけます。

深い悲しみを抱えている自分が、もしその悲しみを手放してしまったら、自分ではないのでしょうか。

怒りをばねに人生を生きてきた人が怒りを手放したとき、そこにいるのは誰なんでしょうか。

天職だと思っていた仕事ができなくなってしまった人は、もう「自分」がないのでしょうか。

あらゆる変化を経てもなお、変わらずその瞬間瞬間を体験し続けているのは、「誰」ですか?

リーディングセッションでも感情解放ワークでも、
しばしば過去世に触れることがあります。

場所を変え時を越えて、性別や地位、
アイデンティティもまったく違った人生を生きていても、
そこには紛れもなく一続きの意識が流れています。

そしてしばしば、別の人生で体験したことを、今世でも全く同じように、
時を越え場所を変え人を変えて、変わらず体験していたりします。

そしてその馴染み深い感情や感覚を味わいながら、
「まただ。いつも私はこうなってしまう」と嘆いたり、
何とかしてそこから脱出できるようにともがくのです。

けれどいざ、解放がすぐ側に迫って来ると、

「いやだ!これまでとは違う!
そんなのは体験したことが無いからできないし恐い!
自分が自分でなくなってしまう!

といって、あれほど苦しんでいた、慣れ親しんだ地獄に引き返していくのです。

自分でなくなってしまう「自分」って、一体何のことなんでしょうか?

この身体でしょうか、怒りや悲しみ、あるいは慈悲と言ったような感情や感覚、
才能も含めて、特定の何かが「自分」でしょうか。

もし私が事故などに遭って、腕や足を失ったら、
もうそれは「私」ではないのでしょうか。

そうなったら、もう生きる価値はないでしょうか。

たとえば愛する人を失って、失意の底で生きながらに死んだようにして過ごしていても、
時は容赦なく流れ続けていきます。

その状態で人生を終えたとしても、また次の人生で、
生きながら死んだ人生の続きを始めるのです。

そうしてあるとき、その人の意識の中で止まっていた何かが、
再び世界とともに流れ出す瞬間がやって来ます。

「もう私は死んでしまった」と思っても、
一瞬たりとも絶えることなく続いてきた連続した意識の上で、
再びその人は自分を統合するのです。

変化していくあらゆるものをただ「体験する意識」に留まる時、
私たちは形あるものや特定の器質などにしがみつかなくなります。

この形の身体も、この能力も、この肩書きも、この性格さえ、
「私」そのものではありません。

容姿は変わっていきますし、肩書きも容易く変わります。
性格や能力だって、日々変わっているでしょう。

そんなものが「私」であるのなら、
日々私は「私」でなくなっているわけです。

そこにいったい何の問題がありますか?

日中目覚めている状態から、夜ベッドに入って眠りにつき、
再び目を覚ますまでの間、私たちは何度「自分でなくなっている」でしょうか。

そしてまた、昨日の自分と今朝の自分は同じ自分だと言えるでしょうか。

「自分が自分でなくなってしまう」と思うとき、
そのことで一体何を恐れているのかをよく見てみることです。

慣れ親しんだ支えを失った居心地の悪さをそう表現しているだけなのかもしれません。
であるならば、その居心地の悪さ自体をしっかり味わって体験してしまえばいいだけです。

体験を否定したりそこから離れてしまうから、自分がどこに居るのか分からなくなっているのです。

混乱も恐怖も虚しさも心細さも、あらゆる感情や感覚をしっかり感じることで、
今この瞬間の自分にグラウンディングすることができます。

「自分が自分でなくなってしまう」と思うとき、
多分起こっている体験をどこかで否定しているでしょう。

「うそだ!こんなはずはない!こんなのは嫌だ!あり得ない!」

そう拒絶した時に、混乱と恐怖のパニックになってしまうのです。

好ましいこともそうでないことも、等しく受け取る術を学びましょう。
出来事は自分を通過していくのを、自分を開いて体験していくのです。

そこに何の問題もありません。

やって来ては去っていくものの流れを妨げずに、
今ここで深く息をしながら、体験が差し出すあらゆるものを
祝福していきましょう。

「できない」と思う人は、多分「選択していない」だけです。
選択せずに一生懸命できるようになろうとするのは、無理な話。

「できない」ではなく、「私はそれをしたくない」とはっきり言ってしまえば、
葛藤しなくて済みます。

自分にそれを言う権利を認めてあげましょう。

何にせよ、私たちは常に在り方を選択しているのです。

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