当たり前でないことを当たり前に

30日のオンライン瞑想会、
まだまだ募集中です。

いつものように、お一人お一人の
リーディングとメッセージ付き、
ヒーリングの働きかけを行っていきます。

ご興味ある方はせひどうぞ。
http://healing-gate.com/blog/seminner/fullmoonmeditationmeeting/

さて。

今日は最近ちょっと考えたことを
自分自身の覚書として
まとめておこうと思います。

何かものごとを学び、
身につけて行こうとするとき、
何をスタートとし、
何をゴールと捉えるか、
ということについて。

たとえば、何かの資格を取る勉強を
していたとします。

ある期間、一生懸命勉強して試験を受け、
ようやく合格して資格を取得したとすると、
これはゴールでしょうか?

そもそも、何のためにその資格を取ろうと
思ったのでしょう。

その資格を活かした仕事をしたかったのか、
その仕事は資格を持っていなければ
できない仕事だっただからなのか。

あるいは、その分野のことに興味があって、
学ぶことが楽しかったからなのか。

人が学ぶ理由って、色々ありますが、
その道を深く極めて行こうとするならば、
その分野に関する知識や技術を
身に着けていることは、確かにスタート
ではあるでしょう。

決してゴールではありませんね。

それができて当たり前。
そのうえで、身に着けた知識や技術を
どう使って何をするのか、というところで
修練しているのが、その道の者
ということなのでしょう。

昔、何かのインタビューで、
女優の桃井かおりさんが、
演技の中で泣くことについて、

彼女は一瞬で涙を見せることが
できると言って実演されたうえで、
こんな風に言っておられました。

涙は出しておいて、そのうえで
どう演じるかを考えたいのよね、と。

実際の言葉は少し違ったかもしれませんが、
まぁそんなニュアンスだったと思います。

さすが女優さんだな~って思ったのですが、
役者としては、監督が求めるどんな
感情表現もできて当たり前。

涙を見せるなら、その涙をどんな風に
見せるのか、ってところで戦いたい
というプロ魂を見た思いがしました。

歌手であれば、歌が上手いのは当たり前だし、
ピアニストであればピアノが上手に弾けて
譜面を覚えているのは当たり前、
水泳選手であれば早く上手に泳げるのは
当たり前。弁護士であれば法律を知っていて
当たり前、などなど。

当たり前ではあるけれど、
門外漢からしたらその当たり前が
できること自体に感嘆の念を覚えるような
レベルのことで、

でも、その道を行く者たちは、
そこからスタートして努力に努力を重ねた
ところで勝負してるんですよね。

人によっては、そのことが好きで好きで
たまらなくて、夢中でやっていたら
いつの間にか突き抜けて行ってしまった
達人もいるでしょうけれど、

どんなに好きな道でも、
本気で取り組んだなら、誰しも
壁にぶち当たったり葛藤したり、
時には挫折したり、色々ありますよね。

長くそれにかかわっていれば
それだけ良いこともそうでないことも
あるわけで、

その度に、それをどんな風に
越えて来たのか、という経験値も
積み重ねられていきます。

そうして揉まれて初めて
引き出されて行く底力もありますしね。

その道でご飯食べてるという意味での
プロでなくても、

その道を歩む者であるならば、
ひたすらタフで在れ、と思います。

図太く、タフで居れば、
どんなに打ちのめされても、
歩みを継続していくことができます。

今、当たり前が当たり前にできなくて、
どんなに才覚に恵まれていなくても、
歩みを止めなければ、できるようになる
可能性は繋がります。

だから、タフで在れ。

そして貪欲で在れ。
道を知ろうとすることに、
貪欲であること。

自分で工夫すること。

受け身で教えられるばかりじゃ
身につかないことがあります。

知ろうとする意識の上にしか
入ってこないものがあり、
見えない気づきがあり、
理解できない筋道があるのです。

そして、知ろうと思えるには、
自分の実体験がベースに無ければ
なりません。

現状の自分が認識していること、
体験していることに照らして、
自分が何を認識できていないのか、
わからないのかを知るのです。

そこから知ろうとすると、
新たに知ったことは、
自分の体験に照らして、
自分の中に組み込まれます。

だから、何かを学ぶときは、
自分の感じていることと
切り離して理解しようとすると、
ただの机上の空論のように、
実用性のないものになります。

実戦で使えるのは、
何かしらの形で自分の体験に組み込んで
理解していることだけですからね。

何かしら、自分の体験に
引っかかって取り入れられたものは、
一見バラバラのピースのように見えても、
何かの拍子に有機的な図像を結ぶことが
あります。

それが閃きとか新しいアイデアとして
浮かんでくるのです。

いずれにせよ、
飛びぬけた何かを体現したければ、
当たり前でないことを、
当たり前にできることがスタートなのだ
と肝に銘じておくことですね。

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