自分を生きる、と一言で言っても、
人によってそれは様々な概念で
受け取られるようで、
いつもお話ししながら
難しいものだな、と思います。
自分も含めて、多くの人は
自分自身を生きることに
多かれ少なかれ抵抗している
ところがあるように思います。
それは、
今の自分のままじゃいけないんだ、
という強烈な自己否定を
どこかで刻み込んできたことが
大きいのだろうと思うのですが、
この思いがあると、
人生は出発点から自分以外の
何かの理想を達成することが
目標になってきます。
だから、そもそも
自分自身を生きるなんてとんでもない!
と思っているわけです。
これが悲劇の始まりだと
常々思っているのですが、
これを転換することは、
人によって相当に手こずることも
ありますね。
私の定義で自分を生きるというのは、
内なる神とともに歩むとか、
神と一体の我を生きるとか、
またはそれすらも正しい表現では
ないのかもしれません。
その人のいるポジションによって、
色々な表現になる、という理解で
まずはお伝えしています。
いずれにせよ、ここでは
自分ではないものにならない、
というのが趣旨になります。
この社会では、
自分ではないものになる努力が
推奨される向きも確かにあって、
そこにきて自分を生きるなんて言われると、
えぇ?そんなことして良いんですか?
それは最も危険でダメなことです!!!
と反応される方、結構いらっしゃいます。
でも、そういわれる方の現実では、
繰り返し繰り返し、自分を生きろ!
というサインが来ていて、
どれだけ抵抗しても、
降参するまで軌道修正を迫られている
ように私には見えます。
生きることが苦しいのは、
本当は自分自身を生きていないから、
あるいは、自分を生かすような
生き方をしていないからなのですが、
自分を生きるのは苦しい、
と思ってしまっているんですね。
本当に自分を大事にして、
自分を生かすような生き方をするには、
時に勇気が必要なこともあるだろうし、
戦わなければいけないときも
あるかもしれません。
譲ってはいけないところ、
差し出してはいけないところで
引いてしまうのは、自分を粗末にしている
ことになるからです。
自分を大事にしてほしい、守ってほしい
と他者には願いながら、自分で
自分を粗末にして守らないのは
矛盾しています。
自分に対する自身の責任を果たす
というのは、そういうことを言います。
また、
自分を大事にする生き方をするために、
新たに自分で道を拓かねばならない
こともあります。
あなた自身が唯一無二であるが故に、
既存の選択肢以外の、これまでに
なかったような道を造らないと、
あなたの個性が自由に生きられない
ことがあるからです。
自分を生きるというのは、
そういうところも含めて
自分に対する責任があるということです。
あなたは唯一無二のギフトを持って
この世界に生まれてきました。
けれど、この世界には、
まだそのギフトを生かせる手法や
場所がないことも、ままあります。
そういうギフトを持って生まれた人は、
同時に、それを生かす場を拓くという
使命も持っているのだと思います。
その壁の厚さ、高さに怯んで
負担と思うか、楽しみながら
チャレンジできるか。
願わくば、
後者であってほしいものですが、
あなたにはその力があるから、
ギフトが授けられたのでしょう。
自分の命、ギフトにいかに向き合うか。
引き受けるからこそ助けも入るというもの。
自身の命の願いに、純粋で在れ。
誠実であれ。真摯で在れ。
あなたがこの世界で拓くもの、
表現するものに、祝福がありますように。