健全に怒ることのできる自分になる

様々な感情の中で、多分一番厄介な感情は
怒りかもしれません。

凶暴なエネルギーで、
他者から傷つけられたり、
自分が他者を傷つけては後悔したり、
後々まで残る傷を残してしまうことも
多々あります。

それ故に、世間一般に、
怒りは良くないもの、
コントロールできないのは人間的に
未熟でできていない証拠などと考えられ、
ひどく蔑まれていたり、嫌悪感すら
感じる人も少なくありません。

怒りには、そういうネガティブな側面も
確かにありますが、他の感情と同様に、
それ自体が悪というわけではなく、
生命力の発露の一形態であり、
神聖な命の表現であると思います。

これをいかにこじらせずに
完了できるかがワークでも
重要なポイントになります。

これまでにも何度か書いてきましたが、
怒りの奥には、とても傷ついた気持ちが
あります。

怒りは、何か自分が
望んでいたことをしてもらえなかったか、
望まないことをされたかによって
心が傷ついた反動として起こります。

だから、ものすごく怒っている人は、
その奥に、必ずとても傷ついた気持ちが
あるわけですね。

そして、その怒りはしばしば、
目の前の人や出来事に対して
怒っているわけでもなかったりします。

実際、頭では目の前の対象に怒っている
つもりでも、掘り下げていくと実は、
親やもっと別の対象に怒っている
ということもよくあります。

たとえば、
いつも自分のパートナーに怒りを
ぶつけている人が、実は
深いところで抱いていた親に対する不満を
パートナーに重ね合わせてぶつけている
と言うケースもあり得るわけですね。

怒りを解放するときは、
本当は誰に対して怒っていたのか?
というのを突き止めることが
結構大事だったりします。

たまに、自分に対して怒っている
と言う人もいますが、自分への怒り
というのは、感情の中でも唯一
不健全な感情と言われます。

それは、本当は誰かに対して
怒っていて、それをすり替えている
ことになります。

多くの方たちを見ていて思うのは、
自分は被害者になっても、
加害者にはなりたくないという
思いを持っている方が多いということ。

この思いが、他者に抱いた怒りを
瞬間的に自分自身にすり替えることの
原因の一つになっているかもしれません。

あるいは、怒りを抱いている人が
大切な人であった場合。

その人から愛を得たいと思っている、
例えば親や恋人などだったら、
もし自分がその人に怒ったり
憎んだりしたら、

その人が自分から去って行き
愛を得られなくなってしまう
かもしれません。

そうなりたくないので、
怒りを抑圧する、と言うケースも
しばしば見かけます。

様々な理由から抑圧された怒りは、
その凶暴なエネルギーがそっくりそのまま
自分自身を傷つける方向に向かいます。

そうなると起こってくるのが
鬱的な気分になったり、
死にたくなったりします。

慢性的にそういう状態になっている人も、
特にこれと言って原因が思い当たらないのに
そんな気持ちに突然なったという人は、

その少し前を振り返ってみて、
誰かへの怒りを抑圧しなかっただろうか?
と確認してみてください。

多分、何かしらうまく消化できなかった
怒りの心当たりがあると思います。

それを解放できれば、
その重苦しい気持ちは嘘のように
消えるでしょう。

さて、実際に解放するには、
色々やり方はあるのですが、
怒りを怒りとして表現すること
が基本になります。

ただし、実際に相手に凶暴なエネルギーを
投げつけるようなことをするわけでは
ありません。

イメージワークでやるのが一番手軽で
安全かと思いますが、飲み込んだ言葉を
言いたかった声音、言葉、表現で
吐き出し、

クリエイティブになって、相手に
本当はしてやりたかったように
やってみるのです。

要は、殴りたかったら殴る、
戦車でひき殺したかったらそうするとか
実際にはできないようなことも、
イメージワークだったらできますからね。

遠慮なくやってみましょう。

本当に怒りが表現されたい表現が
完璧にできると、その怒りは
後腐れなく、笑いに変わると
言われています。

怒りはそもそも、筋の通ったものではなく、
深刻なものでもないのですね。

だから、こんなことをする自分は
罪深い、とか思う必要もないのです。

自分の怒りに、責任を持った方法で
表現する機会を与え、誰も傷つけることなく
完了させることができるのですね。

もう一つの方法としては、
自身の傷ついた気持ちを受け止め、
そこで本当の望みを吐き出していく
ワークをする方法があります。

これは、怒りを抱いた相手がどうして
自分にそんな態度を取ったのかを
鏡の法則を使って読み解き、

自分が受け止められていなかった感情に
対処することで、互いの関係性を根本的に
変容させていくやり方です。

これについてはこれまでにも
書いてきているのですが、
リクエストがあれば折を見て
また書いてみます。

いずれにせよ、
怒りを生きることを抑圧したり
回避しようとするのは
不健全な在り方です。

怒るべき時に怒ることができない人は、
自身の尊厳を守ることができません。

健全な怒りを生きられるように、
怒りにも表現される権利を
認めてあげましょう。

そのうえで、どうしたらそれを実現できるのか。
健全に怒ることのできる在り方を
探ってみてください。

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