人間、生きていれば
納得いかないこともあり、
そうそう寛容にもなれないことが
多々あります。
気にしないようにしようと思っても
どうしても囚われてしまう、
自分も苦しいけれど、
肚には据えかねる、なんてことも。
囚われた意識は、
きゅ~っと狭い視野に固定化され、
離れようとしても、とてつもない引力で
引き戻されてしまいます。
そんなときに状況を
人間社会の常識や良識、道徳や倫理
などでジャッジメントしても、
余計に囚われを強化するだけです。
だから、そうした
意識を狭く固くする
価値観の基準から少し離れて、
自分の慣れ親しんだ価値観とは別の
価値観や視座に意識を広げてみましょう。
日本の常識、この地域の常識ではなく、
地球の裏側の国の常識だったら?
人間社会の枠組ではなく、
猫や犬、ゴリラやイルカだったら?
空を渡る鳥やクラゲ、マグロだったら?
地球ではなく、
太陽系をはるかに越えて、
宇宙のかなたに見える、あの星だったら。。。
この社会で生きる自分に苦しくなったら、
目いっぱい宇宙に意識を広げてみましょう。
あるいは、空間的に広げるだけではなく、
時空軸に広げてみるのも一法です。
この現代日本ではなく、
江戸時代の人々の意識、戦国時代、
平安、飛鳥時代だったらどうでしょう?
意識をダイレクトに時空を超えて
飛ばせる人はトライしてみてごらんに
なると良いでしょう。
そんなことできないよ、という人は、
その時代、その土地の写真や記録文書など
に触れるのも、その時代特有の空気感
に意識がシフトします。
私自身の体験を話すると、
ダイレクトに意識を飛ばすことも
あるのですが、
去年、母の遺品整理で
家中の荷物を整理していた時、
祖父や父、母の若い頃の写真が
沢山出てきて、それらを眺める内に
とても不思議な意識状態になりました。
自分の体は令和の時代にいるのに、
部屋の光が、昭和のあの時代の質感に
感じられたのです。
先祖が生きた、あの時代、あの空気。
この瞬間とは別のレイヤーに
アクセスしたようで、それに触れてから、
自分という存在の意味というか、
捉え方が、表現しづらいのですが、
何か変化を起こしたような気がします。
そして今、
また家系図を読み込んでいるのですが、
先祖の名前、生年、転籍移動の記録などを
辿っているだけで、自分の中で
別のレイヤーが開いてくるのが
わかるのです。
そうして何かが変容した自分で
改めて日常に戻ってくると、
囚われがどこか、緩んでいるというか、
質感が変わったりして何かしら
変化しているんですね。
人生の視座が変わると、
人生の意味が変わってきます。
そうすると、今やっていること、
今このようにあることが
以前考えていたようなものではなく、
別の意味を持つようになってくるのです。
大事だとこだわっていたことの
優先順位が下がり、もっと大事な
別のことが見えてきたり、
受け入れ難いと思っていたことの、
別の側面が見えてきて、
許せるようになったり。
愛がないと思っていたことも、
そうではなく、それこそが
愛そのものだった、と気づいたり。
まずは窮屈な頭で無理やり
納得させるのではなく、
囚われた視座を緩め、
広げてみましょう。
ひょっとしたら、
この姿形の自分という意識から
大いに離れて、原初の生命エネルギー
そのもののレベルまで戻ってみた方が
楽になる人もあるかもしれません。
見失っていた命の原点に戻る。
もうそれを生きていい時代だから。
あなたの魂の最も深い叫びを、
生きて行きましょう。