自分で判断する力を育てる
自分自身が信頼できなければいけないと私は思うのですよね。自分でなんでもかんでも全てできなければいけないというわけではなくて、誰とどんな関係性
自分自身が信頼できなければいけないと私は思うのですよね。自分でなんでもかんでも全てできなければいけないというわけではなくて、誰とどんな関係性
長く慣れ親しんだプログラムほど、自分と同化してアイデンティティの一部のようになっていることもありますが、何かの拍子に、これは自分の本質とは違
人は、自分のズルさ、弱さから逃げると、まさに自分がなりたくなかったズルい自分、弱い自分になります。パラドックスですけれどね。醜さから逃れたつ
こういう、古くから街中に在って人々の信仰とともに在った神様は、自身の守る土地に暮らす人々と深く繋がっているところがあると感じます。神様に意識
自身のスタンスを表明した人に対して、時に激しい攻撃が加えられることも今の時代は多いですが、それでもなお私はこれをする、こう思う、と一人、責任
ダメだとジャッジメントしていた自身の側面を深く見つめて、善し。と一つ一つ祝福していけたら、それはすごい変容をもたらしそうです。祝福するたびに
今この時代に生きているということは、ものすごく稀有なことなのでしょう。世界が大きく変わっていく、奇跡的な場面に立ち会っているということ自体、
誰のせいにもしない。何かのせいでもない。私がそれを選んだから、私はその現実を生きる。ただそれだけのことなんです。自分で引き受けることが嫌なの
わがままも、ただ駄々をこねるのではなく、わがままを貫き通すために生じるリスクを自分で負うことができるなら、一本筋が通ってていいんじゃないの?
これをしたいのだ、これができなくてはならない、という必要性が先にある状況なら、リアルタイムで存在のあらゆるレベルを総動員してそれを実現するよ