自身の真実を受け入れることへの抵抗

昨日は感情解放ワークショップでした。お集まりくださったみなさま、ありがとうございます。昨日は珍しく初めての方ばかりのクラスだったのですが、何かしら、感情を受け止めていくことについて、ヒントを得られましたら幸いです。


これまで私は100回以上、この感情解放ワークショップを行なってきました。そこで様々な方を見て来て、自分自身に向き合うことに行き詰まりを感じている方には共通点があるな、と気づきました。

その共通点と言うのは、自分自身の真実を受け入れていないということと、本人の自覚としては、受け入れている「つもり」であるし、またそうしていきたいと思っているということです。

本人はやる気満々か、少なくともそういう意志があるという認識なので、深いところでそれとは違う意志があるということに気づいていません。

そして、表層意識とは違う意志について、それに気づくこと、受け入れることを強烈に拒絶しています。だから気づけないのです。ワークで掘り下げをして行ってこの事実に行き当たると、そういう方はものすごい抵抗を示します。

本人は人並み以上に取り組んでいる「つもり」なので、自分が実はできていないことや逃げているという事実自体が受け入れ難いのです。

なぜ受け入れ難いのかと言えば、向き合えないという事実は、一刻も早く抜け出したいと思っている今のその苦しみが、この先も継続してしまうということを意味しているからです。それはとても深い絶望を呼び起こすでしょう。

そう、その人は、絶望したくないのです。だから、絶望につながる事実を受け入れられないという構造になっています。

けれど、既に自分の中に絶望があるのに絶望することを拒絶すると、そのエネルギーが身体の中に残ってしまい、事あるごとにそれが浮上するようになります。

そしてそのエネルギーが絶望する体験を引き寄せてくるので、絶望したくない人ほど、絶望するような出来事が起こってしまうという、ここがパラドックスなのですね。

絶望もしっかりと受け止め、生きられる人の方が、実際にそれを味わうことが少なくなり、絶望してもしなくても、頓着しなくなります。そういう人にとっては、絶望という体験も、他の様々な体験と同じように、やって来ては自分を通過していくだけのものになるだからです。

私がワークを誘導していると、様々な質問に対して「だと思います」「そうしているつもりです」「と信じたいです」という風に答える方があります。ワークにおいてこういう答え方をする時というのは、ほぼ100%の確立で自身の真実には触れておらず、思考でワークを進めていると言えます。

つまり、「感じられていない」のですね。

こういう答えが返ってきたとき、私は注意深くさらに質問を重ねていきます。アプローチを変えてみたり、たとえを出してみたり、場面設定を変えてみたりして、その方が本当に「感じている」部分はどこからどこまでなのか、その境界線をはっきりさせます。

この辺りはケースバイケースなので具体的にここで書くことはできないのですが、その方がそのように感じられない理由はただ一つ、「感じてしまうことに恐れがあるから」です。

だから、実際はそうではないのに「そうだと思いたい、そうあって欲しい」という願望で真実を覆い隠し、都合の悪い答えを言えなくしているのです。そういう場合、真実を認めることは、即深い失望を意味するでしょう。

もし本当にその方が感じていたとするならば、「だと思います」「つもりです」「信じたいです」という表現をする必要はありません。「そうです」とただ一言で済むはずです。

真実ならわざわざ思考してそれについて思わなくてもいいわけですし、一生懸命「つもり」にならなくてもいいですね。信じる必要すらありません。

真実は、自ずからそれと分かるものです。そこにいかなる解釈も入り込む余地はないのは、自明でしょう。

このように、私たちは一生懸命「思い込む」ことで都合の悪い真実を隠し、そのことで結果的に苦しみを長引かせているのです。そこにどれだけのエネルギーを費やしているかを思えば、最も味わいたくない苦しみをこんなにも大事に温存させているバカバカしさに気づくのではないでしょうか。

自分が自身の真実を受け入れているかどうか、よく分からないという方は、声に出してこんな言葉を言い比べてみるといいでしょう。

①「私は自分の真実を受け入れています」

②「私は自分の真実を受け入れたいです」

③「私は自分の真実を受け入れているつもりです」

あなたが普段言っている言葉はどれに近いでしょうか。そして、どれが一番言いにくかったでしょうか。身体の感覚を良く感じながら、その違いを比べてみてください。

②と③は、実際に真実を受け入れていなくても言うことは容易です。けれど①は、本当にできていないと、非常に違和感を感じるでしょう。

①とそれ以外の二つの間には、似ているようでいて全く異なるバイブレーションがあるのです。そして、これを発することのできる在り方にも、雲泥の差があります。

自分がどのポジションにいるのか、真実を本当に受け入れたいのなら、しかりと捉えておきましょう。

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