「自分に向き合うこと」の真意

このブログではたびたび「自分に向き合うこと、逃げないこと」について書いていますが、読者の方からこのことついてご質問をいただきました。多分、他にも多くの方が同じ疑問を抱いていらっしゃると思うので、このブログにて私の思うところを書いて、シェアしてみたいと思います。

ご質問は、ご自身が疲弊してしまったきっかけとなった人間関係について、「逃げずに向き合う」か、「それとも無理ない環境から取り組んでゆく」か、線引きが難しいということでした。

「逃げずに向き合うことが大事」というと、多くの方が、懸案となっている人間関係など、「外側の対象そのものに対峙すること」だと捉えることが多いようです。

ご質問者様も環境のことを言っていらっしゃるので、おそらくは相手の方と何かしらのやり取りをされることをイメージされているのかな、と推測いたします。そして、そうすることにとてもご負担を感じられるが故に、ご質問くださったのでしょう。(違っていたらすみません)

けれど、私がお伝えしている感情解放のワークでは、まず外側の対象に対して行動を起こす前に、自分自身の内側の気持ちに取り組むことを重視しています。その理由は、外側の現実というのは自身の内側の鏡なので、鏡の像と戦うのではなく、本体である内側を変えれば、外側も自然と変わっていくからです。

その辺りを実感された方の、最近のご感想をご紹介しておきますね。

2016年12月21日感情解放ワークショップのご感想

自身の内側にある感情のわだかまりをそのままにして相手と向き合ったとしても、何かが変わっていく感覚はないでしょうし、同じことを繰り返していく絶望感ばかりが募っていくのではないでしょうか。

けれど、自身の「自分に対する態度」が変わると、不思議と相手の態度が変わって来るのです。自分から扉を開けるために戦わなくても、まるで自動ドアのように、向こうから扉を開いてくれるようになるのですね。

これ故に、「逃げずに向き合う」というのは、実際の相手と対峙することではなく、まず「自分自身に対して逃げずに向き合う」ということなのです。

ご質問者様は、相手の方たちに対して「耐えられないものがある」とおっしゃっています。これについてもしワークをするとしたら、拙書「感情解放ワークブック」に載っている「鏡のメッセージを読み解くワーク」で、相手のどこが自分自身を映しているのか、というとことを書き出してごらんになるといいでしょう。

自分の身体をしっかりと感じながら、心をかき乱される相手の行為を思い出し、箇条書きに「どんなところが嫌だったのか?」を書き出していきます。

自分のことしか考えていない身勝手な態度だったり、人の痛みをまるで気にかけない無神経さだったり、嫌なことを全部押し付けて自分は逃げてしまう卑怯さ、ズルさ、あるいは自分の非を決して認めず、何かや誰かのせいだと責任転嫁する無責任さでしょうか。

その次に、それに対する自分の気持ちを書き出します。怒り、悲しみ、口惜しさ、憎しみなど。

最後に、相手に対して本当に望んでいること、アドヴァイスを書きます。

この部分は、「消えてほしい」「放っておいてほしい」というようなものではなくて、「人の気持ちをもっと思いやってほしい」とか、「自分のことは自分で責任を取ってほしい」「もっと周囲への関心を持ってあげるといい」など、その人がどうであったらもっと良い関係が築けただろうか?というような視点から書いていくといいでしょう。

わだかまりが大きい程、相手に対してそうした言葉を見出すのは難しいかもしれませんが、されて嫌だったことの反対を書き出せばいいのだと解釈すると、分かりやすいかもしれません。

この3項目が書き出せたら、ここからさらに鏡を読み解いていきます。

1番目の項目で書き出した相手の嫌な行為ですが、「なぜ相手はそのようなことをしてくるのか?」という動機を、想像力を膨らませて考えてみてください。実際に相手がその通りかどうかは、このワークでは関係がないので、主観を恐れずに表現してみましょう。

たとえば、責任転嫁して逃げてしまうのは、責任を引き受けることを思ったら、その重圧に耐えられないと思っているようだとか、人の痛みをいちいち感じていたら、自分の思うようにものごとが進まない。そうなるとそのフラストレーションの苦しさに耐えられない、息苦しくて自分がダメになってしまうように感じているので、人のことは気にかけないようにしているようだ、などといった様子が見えてくるでしょう。

同じ人、状況をイメージしても、人によって出てくるイメージは違ったものになります。あなた自身が「このように見える」というところをプットアウトしてみてください。

そして注目するのは、「相手が最も避けたい感情や感覚は何か?」というところです。

上記の例で言えば、のしかかる責任の重圧の感覚、思うように行かない現実への閉塞感や絶望感といったところが「核心の痛み」になるでしょうか。

ここまで分かって来たら、相手の中に見たこれらの核心の痛みが、自分の中に在るものと全く同じであるということに気づく方もあるでしょう。そう、これは、あなた自身の痛みなのです。

そして、相手のその態度は、あなたがその痛みに対して取っている態度と全く同じです。例外はありません。

この読み解きが腑に落ちるかどうかは、あなたが自分自身の真実に対して、どれだけ目を開き、聞く耳をもって向き合っているかに左右されます。

「自分自身に向き合う」というのは、この自身の真実に対して、どれだけ勇気をもって直視できるか、という取り組みであり、問いかけなのです。

相手に対して直接行動を起こす前に、自分自身に対して誠実であることを実践することです。そのとき、現実は自ずから変わり、あなた自身の苦しみも、その瞬間に消え去るでしょう。

以上、何か参考になれば幸いです。

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