本当の自分自身に帰る喜び
人によっては、その傷に封印をかけているだけではなく、それを鎧い、傷ついた自分ではない者になっていこうとして異物をたくさん自分の中に取り込んで
偽りの自分を脱ぎ捨てて、本当の「私」に帰る場所
人によっては、その傷に封印をかけているだけではなく、それを鎧い、傷ついた自分ではない者になっていこうとして異物をたくさん自分の中に取り込んで
本来異物が入っていれば不快感を感じたり何かしらの苦痛を感じるはずなのですが、それも抑え込んで居させているわけなので、自分自身の感じる感覚が抑
逃げずに立ち向かうから力が湧いてくるのであり、惨めな自分ではなく、誇り高き気高い自尊心が生まれるのです。逃げ続ける自分に、自尊心など抱けよう
今この瞬間にまだできることが少しでもあるなら、やり尽くすことです。たとえそれが、ただひたすらここいにて、息をすることであったとしても。そして
最初からマウント取ってくるエラそうな輩も、ほぼ100%、高次の存在ではありません。いかにも俺様は偉いんだぞ!と、尊い神様や大天使の名前を出し
たとえそれを求めること自体が辛く、苦しいのだとしても、諦めないことです。その祈りは、必ずどこかで聞かれているのですから。そのことを本当にまご
ここで差し出されている学びは、いかに相手の認識、価値観や心情がとんでもないものだったとしても、その内容によらず、相手の世界もあなたの正しさと
自分の身に何が起こり、何から、どのようにして逃げてきたかという真実を自分自身で知ることがとても重要で、それら一つ一つをもう一度辿って生き直し
泥沼の様な死の停滞したまどろみは、真の安住の地ではありません。本来の死は、命の旅路の一つの区切りに過ぎません。死は再生とセットであり、停滞し
自分の真の望みを求められた瞬間から、逃げずに自分に正直で在れたという一点において、自尊心が回復していきます。痛みに容易く屈し、逃げないで自分