自身の内なる現実の王として在る
瞬間瞬間、被害者であることを選択するほどに、ますます無力で惨めで恨めしく、悲しく絶望を味わうでしょう。自身の現実を創造するパワーを、殊更に自
瞬間瞬間、被害者であることを選択するほどに、ますます無力で惨めで恨めしく、悲しく絶望を味わうでしょう。自身の現実を創造するパワーを、殊更に自
自分自身に背を向けているとき、癒しは起こりません。自分自身に向き直った分だけ、癒しは起こります。なぜなら、その苦しみの根本は、自分に背を向け
自分自身への不信がある人は、必ず「内なる神」への不信があります。愛も、自身への信頼(自信)も、自分の本当のパワーも、その源は「内なる神」です
なぜ健全な自尊心を持てずにいるのか。それは本当のところ、弱いからでも失敗したからでも無能だからでもないんです。ものすごく大雑把にひっくるめて
相手に変わってほしいのなら、まず自分の在り方を改めねばなりません。自分の中に浮上する、あらゆる不快な感情の責任を取ってから、結果にとらわれず
被害者と加害者の間を延々と行ったり来たりしながら、常にいつ自分がやられるか、あるいはやられる前に叩き潰すか、という行動心理の張りつめた気持ち
今まで、私が命を生きるのだと思っていたけれど、そうではなく、実は命が私を生きているのだと気づいたのです。命が、私という人生を通過し、体験して
とえその人生で誰にもそれを知られず、或いは裁かれることなく逃げ切ったとしても、誰が裁くより、自分の魂がそういう自分を絶対に忘れず、許せないの
誰しも、こんな無力な自分で苦しみ続けたいわけではないですよね。ほんの僅かでいい。その状況の中でできることはないか。問い、そしてそれを実行して
その時に言われた言葉が時折、ワークをするとこんな風に出てきます。「お前なんてこれで十分だ!」って。その言葉の質感が、今回のワークで出てきた思