依存心と境界線を引くこと
どこまで見守り、どこで助けたらいいのかを見極めるのも、相手の微妙な依存心を深く見ながら、自身の揺らぐ心を受け止めつつ、ハートの導きとともに躊
偽りの自分を脱ぎ捨てて、本当の「私」に帰る場所
どこまで見守り、どこで助けたらいいのかを見極めるのも、相手の微妙な依存心を深く見ながら、自身の揺らぐ心を受け止めつつ、ハートの導きとともに躊
自分自身に向き合っていて0か100かの認識しか許さず、自分の理想を100とすると、それに達していないと全くできていない、0だと認識してしまう
ものごとの見方は一面のみではありません。負の側面の被害者になるだけではなく、置かれた状況、与えられたものによって、自分が何を得ているか、得ら
感情解放のセッションでは、毎回必ずどこかで鏡の読み解きをするのですが、気づきを得た瞬間のみなさんの反応が、私は大好きです。最初は、相手に対し
生き辛さを感じて、何とかしたいと思う人は多いですが、それが必ずしも自分を知ることに繋がらない人も、少なからずあります。何とかしたいと思ってい
私の言葉で未練とは何かを今再定義するとするならば、それは誤った希望という名の幻想とでも表現できるでしょうか。可能性は皆無なのに、あるように見
どれだけ強い信念であろうと、根底にあるのが自己不信であるなら、その信念が揺らいでしまったら、脆いものです。その時噴き出してくるのは、元々心の
自分がそこまで嫌い、受け入れがたいのには、何かしら理由があったはずです。そこには、とても苦しく辛い感情があるでしょう。こんなに辛い思いをする
春分ですね。東京ではソメイヨシノもここ数日の陽気でぼちぼち咲き始めてきました。今年の春分前後はお空の様子も何やら大きなイベントが続いており、
なぜその理想を達成しなければいけないと思っているのかと言うと、今自分が感じている苦しみは、このダメな自分のせいなのだ、と思っているからです。